ひねくれてるから世の中生きづらい

名もなきただの大学生が興味のあること(主に社会ネタ)を興味の赴くままに分析したり書いたりしているブログ

〈経済〉日本がマレーシアより貧しい、かもしれないって知ってた?

世界に名だたるコンサルティングファームマッキンゼー&カンパニーが出している、「Urban World」というiPhone, android向けアプリがあります。このアプリでは、世界中の都市の人口・消費・世帯収入・一人当たりGDPをデータ化していて、地図の上で都市を表す円をクリックすると、詳細データが見られるようになります。

 

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この中から、データを見たい都市を選択します

 

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都市を選択すると、その都市の人口、消費、世帯収入、GDP/人のデータが見られるようになります

 

これを見ると、日本がもはやアジアの中でもそこまで豊かな方でもない、というより、アジアの成長が予想以上に勢いよく成長していることを思い知りました。例として、日本とマレーシアのデータをシェアします。

 

一人当たりGDP購買力平価、2015年)

クアラルンプール:$46,330

東京:$45,360

日本:$37,770

マレーシア:$25,740

 

結果はこんな感じ。日本とマレーシア、という国どうしで比べると、さすがにまだ日本が優ってはいます。が、それぞれの国の経済の中心地、東京とクアラルンプールで比べると、一人当たりのGDP(※購買力平価)ではもはや抜かれているのが現実なんですね。だからまあ、タイトルはミスリーディングなんですが笑、東京よりクアラルンプールが上って、結構衝撃的だと思いませんか?

 

国単位で見れば勝っているからいいじゃないか、というように思われるかもしれないですが、21世紀は都市の時代で、都市の活力が大事になってくると言われています。というか、日本の田舎とマレーシアの田舎のGDPを比較しても、何の意味もないです。だってGDPは都市のための指標なんですから。

 

最も、GDPが高いことと人々が幸せかどうかは別問題ですし、購買力平価も計算の仕方でいくらかズレは出るので、東京とクアラルンプールの1000ドル程度の差が重要だとは思いません。ただ、

 

「日本がアジアでトップだった時代はとうに終わっていて、アジアは日本に追いつき、追い越そうとしている」

 

というのは、まぎれもない事実ではあります。(ちなみに、経済面で、アジアで最も成功したであろうシンガポールは$83,740と、日本の2倍をゆうに超えています。)

まあ、それでも治安がいいとか衛生的だとか、数値に表れにくいところで日本はまだまだ強いと思いますが、経済活力が陰ってきてしまっているのは、かつて経済大国と名を馳せていたことを考えると物悲しくもあるかな、と思っています。では。

 

〈経済〉お金のやりとりをすればするほど、富は増える

日本人は貯蓄好きとか、聞いたことある人も多いかと思います。個人金融資産の額は世界一位だそうですし、実際貯金好きな国民性かなと思います。

 

ただ、日本人の中には、「お金=使えば減る」「将来のために今は我慢する」みたいに思っている人が多いような気がしています。お金は確かに使えば「お金は」減るのでこれは別に間違いじゃないんですが、その「対価」を得ているので損にはならないですし、社会全体でお金を使えば使うほど豊かになるんですよ。ゼロサムではないんです。ここに意識がない人が多いような気が、周りを見ている限りしています。

 

以前どこかで見たたとえ話を借用しますが、例えば、

Aさん(1万円を持っている) Bさん(1万円を持っている)

の2人がいたとします。

Aさんは、家がないBさんのために家を建ててあげて、それを1万円でBさんに売ることにしました。この時点でAさんの所持金は2万円になり、Bさんは1万円と引き換えに家を手に入れました。

ところが、Bさんはお金がないので、稼がなくてはなりません。そこで、車を作ってあげて、Aさんに1万円で売ることにしました。そうすると、Aさん、Bさんが持っているものは、以下のようになります。

Aさん(1万円+車) Bさん(1万円+家)

 

つまり、お金の総量は変わっていませんが、Aさんには1万円分の車が、Bさんには1万円分の家が増えました。

 

この間、何が起こったかというと、

Aさん、Bさんの「労働」が、お金という「媒介」を通じて、「サービス・モノ」に変換された

ということなんです。

 

これが経済の仕組みです。お金が回れば回るほど、世の中全体のモノやサービスは増えていく。お金が回らなければ、労働が発生しない代わりにモノもサービスも増えない。冒頭で言ったように、「お金のやりとりをすればするほど、富は増える」んです。今、日本政府が必死になって消費を増やそうとしているのも、消費すればするほど、少なくとも金銭的・物質的には豊かになるからなんですね。

というわけで、みんな、もっとバンバンお金使いましょう!笑

金持ちからいっぱい税を取れ!とか言う前にさ

「お金持ち」と一言で言っても、フローリッチとストックリッチの2パターンがあって、違いを明確にして使い分けなきゃいけないよねっていうお話。

 

まず、フローリッチについてですが、これはフロー、つまり入ってくるお金=所得が高い人のことですね。エリートサラリーマンとして高い給料を得ている人であったり、あるいは高い収益率を上げている投資家などがこれにあたりますね。

そして、ストックリッチの方は、ストックすなわち資産が多い人のこと。先祖代々多くの資産を受け継いでいる人とかはストックリッチということになります。

 

なんでこんなことを書いたのかというと、今の日本の税制や政策等が、基本的には所得の高いフローリッチを強者、所得の低いフロープアを弱者とみなしていて、それが大きな問題点だと考えているからです。

例えば累進課税子ども手当等の所得制限。所得が高い人=負担能力の高い強者とみなしているが故の制度なのですが、所得が高い=負担能力が高い、と決めつけるのは危険な考えだと思います。だって、所得が高くても、親の借金を背負わされている人とか、いるかもしれないじゃないですか。多くの場合では、所得が高い人が資産も多いという図式が成立するとは思いますが、それを前提としてしまうのはどうかと、思うわけですよ。

 

税制については思うところがあるので、また今度記事にしようかと考えていますが、一言で「金持ち」と言っても

 ・所得が高い=フローリッチ

 ・資産が多い=ストックリッチ

の2つのパターンがあって、所得が高いのと自由に使えるお金がいっぱいあることはイコールではないよ、というのは、考えてみれば当たり前ですが、もっと多くの人に意識してもらいたいなと思っています。

〈少子化〉子どもを産めばいい!で解決する段階はもう過ぎ去った

よく一般に、子育て環境を改善して子供を産みやすくして少子化対策!みたいな論調で語られたりすることもあるんですが、子供を産めるのは、20代〜30代の、若い女性に限られますよね(40代の出産も増えてきてはいるそうですが)。そして、日本の場合残念ながら、子供を産むことのできる若い年齢層の女性が、すでに相当少なくなっているんです。

 

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ソース:平成27年国勢調査

 

こちらは、人口ピラミッド(2015年)なのですが、女性のうち20代、30代の割合は合わせても「21.2%」、そして20年後のお母さんとなりうる0歳〜19歳の割合は「16.5%」しかいないんです。(1991年時点では、26.5%いました)これが新興国だったら30%を超えていたりするんですが(ベトナムの場合、およそ35%)。

 

【出生数=若い年齢の女性の数 × 出生率

 

ですから、このうち出生率が伸びたところで、左側の女性の数がすでに少なく、さらに言えば今後ひたすら減少していくわけです。つまり、出生率がいくらか上がっても、子供は減ってしまうのです。

 

実際に将来の人口ピラミッドがどうなっていくのか、出生率を高めに見積もった高位推計と、趨勢通りに見積もった中位推計、低めに見積もった定位推計を乗せた図を見てみましょう。

 

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ソース:国立社会保障・人口問題研究所 平成24年推計

 

これを見ると、高位推計であったとしても子供はひたすら減り続ける、やはりどのみち”つぼ形”になることは避けられない、というのがはっきりわかるかと思います。

 

もちろん、何も手を打たなくていいとは思いませんし、子供が育てやすい社会になれば良いとは願っていますが、少子化によって引き起こされる財政や人手不足はもう子どもの数を増やせ!とか言って解決できる段階にはないのです。「子供が少ない+高齢者が多い」は確定した未来なのです。

 

結論:「少子化はもう手遅れ。子どもが少ないことを前提にして社会制度の設計を」

 

以上。